角打ち

そもそも「角打ち」という言葉を知らなかった。

私の生まれた家は酒問屋を家業としていたので、
子供の時から自分の周りにはお酒がたくさんありました。
住み込みの従業員が何人もいて、
夜になると食堂は賑やかな酒盛りになります。

たまににトラックに乗せてもらって酒屋さんに行くと、
店先にP函を積み上げた上に板を敷いて、
缶詰を開いてつまみにしながら、
昼間からコップ酒を飲んでいる大人がいました。
店内のカウンターで飲んでいる人もたくさんいました。

浅草の場外馬券売場のすぐ近くにある酒屋さんでは、
道にまでいっぱいにはみ出した大人たちが、
路傍に座り込んで昼間から酒をのんでいました。

恐らく、その頃の日本にあっては、非常に日常的な光景だったのだろうと思います。
戦後20年を経て、高度成長のなかで仕事は忙しく、
でも酒、競馬、パチンコくらいしか大人の娯楽はなかったのでしょう。
そこに暖かい人間模様があったのでしょう。

でも、子供の私には怖い光景でした。
酔っぱらった大人が怖い。
大きな声で話している大人が怖い。
路傍で座り込んで酒を飲んでいる人がこちらに襲ってこないだろうか。

ちっとも暖かくもなく、
あこがれる世界なんてものではありません。
いやな大人だなぁと思いながら見ていました。

それでも父に聞くと、そこには独特のいなせな文化が残っていて、
仕事帰りの職人が法被を肩にかけて「ごめんよ」と言って店に入ってきて、
味噌樽からしゃもじで味噌をちょっと手の甲に乗せ、
ぺろりと舐めてからお酒を一杯ぐっと空けて、
「ごちそうさん」と金を置いて出ていく。
ほんの数分の、それはきれいな飲み方だったよ、などと言っていました。

酒屋で酒を飲むことを「角打ち」と呼ぶのだと聞いたのは、ずっと後になってからです。
八丁堀の酒屋さんが「MARU」というワインバーをはじめて、
なんとなく界隈のサラリーマンに愛されるお店になっていったり、
新橋の居酒屋「魚金」が「Bistro Uokin」という、立ち飲みのビストロをオープンしたりしてから、「立ち飲み」というスタイルが「おしゃれな」飲み方として認知されるようになってきました。

日本の居酒屋文化は、昔から座って飲むスタイルでしたから、
立ち飲みというのは、どちらかと言うとファーストフードの延長。
立ち食い蕎麦屋での冷や酒や、
それこそ酒屋の店先での一杯。
「MARU」や「Bistro Uokin」のスタイルは、
むしろイタリアやスペインのバール文化、
もしくはイギリスのパブ文化に近いような気がします。

日本と言う国は、他国の文化を自国流に取り入れるのが上手な国民だとよく言われます。
リバイバルした「角打ち」という文化も、
昔とは違った、和洋折衷のきっと楽しい飲酒文化を生むことでしょう。

大人になったからでしょうか。
今はちっとも怖くありません。


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