2019年1月9日水曜日

皆さんの知らない「鏡開き」と「鏡割り」の違い

正月には、情報館で恒例の振舞酒が12時と5時の2回行われ、
毎年 合計で600人ほどの方々に、このおめでたいお酒を召し上がっていただいています。
1月の寒~い日にも関わらず、
早い方は1時間半前から並んで待っておられるのを見ると、
本当に頭が下がります。
日本酒スタイリストの 島田律子さん と こばたてるみ さんには、毎年大活躍していただき、
有難うございます。
今年も大盛況でした。


さて、この振舞酒の時に行われる樽を開ける作業のことを、
私たちは「鏡開き」と呼びますよね。
何人かの代表者が木槌を持って、
「いち にい さん、よいしょ!」 みたいな感じで、
事前に開けられている蓋の上を叩く儀式。


これが、私たちが一般的に「鏡開き」と呼んでいるセレモニーです。


でも、これは違うという主張がございます。
これは「鏡割り」であって、「鏡開き」ではない、という主張です。
灘の老舗、菊正宗酒造さんです。


ご存知の通り、菊正宗酒造さんは樽酒を瓶詰した酒を商品化している数少ない蔵元さんです。
樽酒への思いはことのほか強く、
自社の倉庫を使って「樽酒マイスターファクトリー」という
樽酒の文化を知るための施設までお作りになりました。


菊正宗さんの主張される正式な「鏡開き」の儀式とは、
1. まず代表者1名の祝詞に始まり、
2. その方が槌を持ち、
3. 樽の上部を締めている2本のタガを打ち下げて緩めます。
4. 次に木蓋の端を木槌で内側に向けて叩くと、
5 蓋がせり上がってきます。
6. 適当なところで、せり上がってきた蓋を持ち上げ
7. 観客に向かって掲げて見せます。
8. 「見事鏡が開きました」 と言って終わる


蓋を割ることなく、丸い形のままで開けて掲げるというところに、
まさに「鏡」が開いたというおめでたさがあるのだということです。


確かにそれはそうだ。


「是非一度灘にいらっしゃって、ご自分で体験して下さい」
とのお誘いを受け、
昨年の夏(ものすごく暑い夏でした)に、灘の蔵へおじゃましました。
木樽を手作りする職人の技を堪能した後、
私のために用意して下さった水の入った4斗樽に相対し、
木槌をもって、いざ!


ところが、これがなかなかの重労働。
木槌は重く、
タガはきつい。
暑い中で汗をダラダラかきながら、
めげそうになる自分を励まし、
というか周りで沢山のひとがニヤニヤしながら見ているのでやらざるを得なかったのです。
(ちょっと手伝ってもらいながら)
それでも何とかタガを緩めて、
木蓋もきれいに丸のままで開けることができました。


おそらく、
大勢の集まるパーティーでセレモニーとして行う鏡開きは、
従来のような威勢よく数名の代表者で「割る」形式のほうが合っているかもしれません。
でも、
この正式な「鏡開き」方式でびしっときめたら、
これはカッコいいかもしれません。
ただし、
カッコ良くなるまでには、
多少の練習と習熟が必要ですね。


誰かがどこかで、この鏡開きをカッコ良くきめたら、
噂になるかもしれません。


ちょっと気にしてみて下さい。
酒にまつわる豆知識です。









2019年1月7日月曜日

平成を彩った日本酒:平成26年から30年


平成26年から30年の時代。

さて、平成最後の半年を過ごすにあたって平成最後の5年を振り返ってみると、
それまできらびやかなニューフェイスが時代を飾っていたのに比較すると、
いわゆるスター選手に牽引された時代とも言えません。
酒質的にはここまでの流れを踏襲しながら、
もうひとつ違った刺激を求めて業界が模索をしてきた時代のように思えます。



平成最後の5年間は、
日本酒が世界の酒として本格的に動き始めた時代と言えるでしょう。



平成25年9月に東京オリンピック招致が決まり、
同12月には「和食」がUNESCOの世界無形文化遺産に登録されました。


これらの出来事は日本食を世界に広げる原動力となり、
いつの間にかSakeという言葉は世界共通語になりました。
世界の各地で日本酒に対する評価が高まり、
日本酒を知りたい、飲みたいという人が増えてきました。


海外で日本酒を製造する外国人も次々に現れています。
日本酒の国際的コンクールも増え、
日本酒を本格的に教える教育機関も整備されてきました。
これまで国内市場しか見てこなかった日本酒の業界が、
今ワインに並ぶ食中酒として世界にその価値を問う時代が来ているのだと思います。


そのためには、まだ超えてゆかなくてはならない多くの壁があります。
価値に応じた幅広い価格、
その価値をはかるシビアなジャーナリズム、
多様な熟成酒の可能性追求、
ビンテージの普及、
多様なGIによる地域性の表現、
広く世界の食とのペアリング。

 可能性は大きいのです。
本気でそこを目指す気持ちを持った人が、
きっと次の元号の時代に、
日本酒の次のフェイズを切り拓いてくれることを願っています。

平成を彩った日本酒:平成21年から25年


平成21年から25年の時代。


平成の時代を最も象徴するのは「若手蔵元杜氏」という言葉であることに異論をはさむ方は少ないでしょう。
農閑期の出稼ぎ仕事として長く酒造りを支えてきた季節雇用の杜氏制度が
農業の変質とともに徐々に廃れ、社員による酒造りが主流を占めるようになったことで、
製造技術が杜氏から蔵元へ移管しました。
また日本酒の需要が漸減を続けるなか、
年間雇用の社員を使うことは蔵元にとって負担が大きいことから、
蔵元自身が酒を造るケースも多く見られるようになってきました。



若い蔵元杜氏としてセンセーショナルに世間を賑わせたのが山形県の「十四代」です。
この酒の成功は多くの若手醸造家に希望を与え、
農大で醸造を学んだ子弟を中心に実家で酒造りを始める若者が増えました。
平成19年から「若手の夜明け」と名付けたイベントがスタートし、
この新しいトレンドに拍車がかかりました。
 

酒造りがベテラン杜氏から若手醸造家に移ったことによって、
酒質にも大きな変化が生まれました。
子供のころから洋食で育った若者たちが求める酒質は世代を経て変化してきたのです。
特に「酸」に対する評価が、彼らの出現を機に大きく変化しました。
この酒質の変化が、結果としてこれまで日本酒を知らなかった若者や女性に受け入れられ、
新しい日本酒の飲酒層を作り出したのです。

平成23年の東日本大震災への復興需要が、

皮肉にも日本酒の中で純米・純米吟醸などクオリティーの高い酒の需要を押し上げ、
その後に続く増加基調につながった背景には、
復興需要によって初めて日本酒を飲んだ若者や女性に、
この若手醸造家たちが造った酒の味わいが驚きをもって受け入れられた結果であると
私は考えています。

平成を彩った日本酒:平成16年から20年


平成16年から20年の時代。


各地の個性を主張する時代になってきました。
平成15年に長野県、16年には佐賀県で県独自の原産地呼称制度がスタート。
翌17年には日本酒で最初の公的なGIとして石川県の「白山」が登録されました。
これまで国内市場ばかりを見てきた日本酒業界が、
ようやく世界の市場に目を向け始めた時代といえるでしょう。

 文化としての日本酒を守る「日本酒で乾杯推進会議」がスタートし、
また業界としての海外イベント事業がスタートしました。



日本酒造青年協議会による「酒サムライ」事業、
海外ワインコンペティションにおける日本酒部門の創設など、
海外に向けた環境整備が次々に行われた、
まさに日本酒の国際化が進むための地盤ができてきました。


イギリス出身のフィリップ・ハーパーさんが日本酒の杜氏になったことも話題になりました。
女性が杜氏をやるよりもさらにハードルの高い外国人による酒造り。
今では全世界で多くの人々が日本酒を製造する時代になってきましたが、
その先鞭をつけた方と言えるでしょう。

平成を彩った日本酒:平成11年から15年

 平成11年から15年の時代。


各地で新しい酒米の開発が進み、
「越淡麗」や「秋田酒こまち」など今に繋がる酒米がでてきました。
また、醸造試験場が東広島で酒類総合研究所として正式にスタートするとともに、
全国新酒鑑評会が原料米による2部制になりました。...
酒米への関心が高まるとともに、

土地に根ざした米から酒までの一貫生産を志す蔵もでてきました。
国税庁の鑑定官室長を歴任された後、各地で山田錦栽培を指導された永谷正治氏の薫陶を受けた「秋鹿」「東一」「東洋美人」「いずみ橋」などの蔵元は、
今も自社栽培米による酒造りを続けています。
今回のスタンプラリーに取り上げた「天の戸」は自社から半径5㎞以内の酒造りを掲げて、
よりテロワール的色彩を打ち出しファンを集めています。


無濾過生原酒というタイプが人気を集めたのもこの時代です。
「飛露喜」や「悦凱陣」などの濃醇でフレッシュ感に溢れた生酒が注目を集め、
多くの蔵元がこのタイプの酒で居酒屋のメニューを賑わせました。


活性にごりという酒は戦前から一部で楽しまれてきたタイプですが、
この「どぶろく」的なタイプを現代的でおしゃれな酒として世に問うたのが一ノ蔵の「すず音」でした。
発泡性清酒は、新しいタイプの筆頭として平成の中旬を彩った酒となりました。

平成を彩った日本酒:平成6年から10年

 平成6年から平成10年の時代。


平成の時代を彩ったバラエティは「香り」がひとつの大きなキーワードかもしれません。
そして香りを作り出す「酵母開発」が全国的に行われました。
日本酒に新しい時代を作った「吟醸酒」の全国的な鑑評会である全国新酒鑑評会で
昭和61年に静岡県で分離された酵母がセンセーショナルな評価を受けてから、
長野県のアルプス酵母、秋田県の秋田花酵母などが次々に開発され、
それぞれにその年の金賞を総ざらいするような活躍を見せました。...



特にアルプス酵母以降は
カプロン酸エチルという強い吟醸香が市場を牽引する大きな力になりました。
今回のスタンプラリーで紹介しているCEL-24は、
高知県の技術センターが開発した驚くほど華やかな香りをだす酵母です。


昔から男社会の象徴のように思われてきた酒造りに女性が関わるようになったのもこの時代です。
三重県の森喜るみ子さんや広島県の今田美穂さんは
女性杜氏のトップランナーとして時代を牽引しました。


軽快で華やかな香りの吟醸酒に注目が集まるなかで、
正反対の重厚で味わい深い燗酒に目を向ける酒ファンもでてきました。
生酛造りの力強く複雑味のある味わいは、今も多くの消費者を惹きつけてやみません。

平成を彩った日本酒:平成元年から5年

平成という元号で迎える最後のお正月に、
この30年を振り返って、日本酒に何が起こったのかを思い返す機会にしたいと思います。
日本の酒情報館では「平成を彩った日本酒フェア スタンプラリー」というイベントを企画し、
バラエティの時代とも言えるこの時代のお酒を楽しんでいただいています。

さて、 平成元年から平成5年までの時代。


平成という時代は、戦後統制経済の名残りとも言える級別の廃止にスタートしました。
平成元年に「特級」が廃止になり、平成4年には「1級」「2級」も廃止になりました。
特級・1級・2級といっても、

中身はほとんどがアルコール添加のあまり個性の強くない、
いわゆる「冷や良し、燗良し」という酒質でしたから、
料理のコースに酒を合わすというような発想はなく、
最初から最後まで基本的には同じ酒を飲み続ける時代でした。
酒の個性は、個の蔵の個性と地域性が担っていた時代とも言えるでしょいう。



この級別にかわって出てきたのが「特定名称酒」という分類です。
今でもこの分類が業界では幅を利かせています。
「大吟醸」「吟醸」「純米」「本醸造」という米の精米歩合を主たる基準として分類された酒が、

級別にかわる新しい消費者の基準として世の中に流布されました。
ここから、日本酒のバラエティが花開いたのだと思います。
 

新潟の淡麗辛口が時代を作りました。
そして、それとは違う個性を考える地域や蔵元が新しいチャレンジを始めた。
それが間違いなく新しいひとつの時代を拓いたのです。
長野のアルプス酵母、静岡酵母は、今に繋がる技術への切磋琢磨の礎になり、

淡麗辛口の反対に位置する長期熟成酒への視点も見直されました。
何かが変わってきたな、という不安と期待の入り混じった時代でした。