生酒は日常酒になるのか

年明けから新酒が本格的に出荷されるようになり、
春から初夏にかけて、市場は新酒を楽しみます。
季節も冬から春に変わり、
何となく気持ちが明るくなる季節に、
新酒の鮮やかなフレッシュさはとてもマッチします。

その季節にしか味わえない味わいというのは、
日本酒の多様性を広げる大きな要素です。
特に生酒はその極みとも言えるものでしょう。

宅急便などの配送体制が今のように高度になっていない昭和の時代、
生酒というものは本当にレアな酒でした。
新酒生酒といえば、アル添した19度~20度くらいの濃い原酒が一般的で、
今のように飲みやすい16度代の吟醸クラスの酒にお目にかかることはありませんでした。
蔵元に行った時にしか飲めない酒。
蔵元が特別に持ってきてくれる酒。
それが生酒でした。
生酒は繊細で変化し続ける酒だからです。

今は、クールやチルドなど様々な温度帯での配送が可能になりました。
酒造技術も向上して純米酒なども新酒ですぐに飲めるようなやわらかい酒質のものが多くでてきました。
それに伴って、出来立ての酒をそのままの酒質で楽しむという、新酒生酒が日本酒ファンを引き付けるマグネットになりました。
コンパクトな四季醸造が中小蔵元にも浸透して、一年中生酒を楽しめる生産環境も整ってきました。
生酒だけに特化した小規模蔵元も出現しています。
確かに生酒には、それにしかない魅力とインパクトがあります。

しかし、生酒は生酒です。
いかに配送環境が向上したといっても、
どんなに信頼できる流通業者に取り扱いをお願いしても、
実際に消費者の口に届くまでの流通過程を蔵元はチェックすることはできません。
どこかで、端ビンの状態で常温に置かれる場面がないという保証はありません。
腐ることはないとしても、生酒の品質は急速に変化します。
変化した酒を飲んだ消費者がどのような感想を持つか、
そこまで蔵元が保証することはできません。

生酒とは、そのようなリスクを常に抱えている酒であることを忘れてはいけないと思います。
私は、生酒とはあくまで非日常酒であるべきであると思っています。
深い信頼関係に結ばれた飲食店までの流通にとどめ、
一般消費者の手に届くのは制限しても良いのではないかと思います。
非日常で、特別な場所でしか飲むことができないという価値を大切にするのは、日本酒のブランディングにとって決して悪い方向には働かないのではないでしょうか。

その時に、改めて家庭で消費する酒の品質について蔵元は真摯に向き合うべきであると思うのです。
日常的に家庭で飲む酒は、あまり難しいものであってはなりません。
多少端ビンになっても、家庭の棚に普通に置かれていても、おいしく飲める酒。
いつ飲んでも裏切らない酒。
マニアックでレアな価値観にとらわれることなく、
正面から消費者の「おいしい」に繋げる。

消費者にとってのハードルは、限りなく低いものにしなくては、
日本酒の市場はいつまでも広がりを持たないように思えてなりません。

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