イベントを巡る試行錯誤

 コロナで世の中がすっかり変わってしまったと、仕事の面で大いに感じるのは、イベントのあり方が根本から変わってしまったことです。

先週5日間にわたって、新宿の住友三角広場において「東京酒フェスティバル2020」というイベントが開催されました。

本来であれば、今年の7月下旬から9月の上旬にかけて、東京は世界中から来た外国人があふれ、活気に満ちたイベントがそこらじゅうで開催されているはずでした。

この新宿で行われたイベントも、外国人を意識したクールジャパンの先鋒である「アニメ」と「日本酒」による異種格闘技みたいなイベントで、その切り口のユニークさが恐らく多くの外国人の関心を集めたことでしょう。

実際に行われた会場は、厳重に感染対策が施され、予約制で入場人数を制限して開催されましたが、外国人の姿はひとりもみられず、入場者もまばら。

盛り上がりのない異業種格闘技という、非常に寂しい会場となりました。

これは主催者としては十分に予想された姿であり、それでも敢えてイベントを開催したことはご英断であるとしか言いようがありません。

ただ、その閑散とした会場に立って、改めてこのイベントの意義って何なのだろうと思わずにはいられませんでした。

「この」イベントというよりは、人を集めて飲んだり食べたり、わいわいと話をして盛り上がるというイベントというものは、人数制限をして、大声をあげず、ソーシャルディスタンスをとって、3つの密を避けるという立て付けのなかで、果たして成立するのだろうかと思わざるをえないのです。

それはイベントに限らず、酒そのものの社会的役割に通じる問いかけでもあります。

そも、酒を飲むという行為は、ひとりで楽しむ場面と他の人々と一緒に飲みかわす場面があるわけですが、酒の良き効能の最たるものは、人と人の距離を縮め、親しみを深め、理解を深める場を演出することにあるということに異をはさむ方は少ないと思います。

ソーシャルディスタンスが社会において欠かすことのできない要素になるのだとすると、人と人がコミュニケーションをとるためには、ルールを守ってマスクをして、必要があればフェイスシールドを被って話さなくてはならない、もしくは、少し離れたところで話をしなくてはならないということを意味します。

確かにインターネットを使ったオンラインというコミュニケーション手段はあります。

この新しいコミュニケーション手段を使わざるを得ない状況に追い込まれたおかげで、私たちはこれまで気づかなかった可能性や便利さを学ぶことになりました。

そこに私たちは合わした生活スタイルをとっていかざるを得ないのかもしれません。

その時、人間関係を希薄にすることなく、これまでと同様な深みを持つコミュニケーションをとることができるのでしょうか。

また、それに適合できた人間だけが生き残ってゆく時代になってゆくのでしょうか。

中年以上の人間には、少し気の重い話です。

面倒くさい。


イベントに話を戻しましょう。

あの新宿のイベントのように隅々までに対策を尽くしたイベントを行ったとしても、そこに集めることができる人数はこれまでの半分以下に抑える必要があります。

興行的にプラスの収支をあげるためには、単価を倍にしなくてはなりません。

倍の単価になった時に、果たして人々はそのイベントに来るのでしょうか。

何のためのイベントなのか、価値と価格がこれまでとは違った厳しい目で評価されることでしょう。

そのように考えると、これまで山のようにあったイベントは、ひょっとしたら本当に必要なイベントではなかったのかもしれません。無駄だったのかもしれません。

しかし、その無駄な時間と無駄なコミュニケーションが、自分の人間形成のなかでは決して無駄でないものを残しているようにも思えます。

社会のオンライン化は、合理性を追求して、非合理なものを排除する世の中へのシフトと言い換えることもできるかもしれません。

その中で、人間はどのような生き方を選んでゆくことになるのでしょう。

考えても仕方ないことかもしれませんが。

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