Sober Curious について
編集者の浅井直子さんとランチミーティングをした時にこの言葉を教えて頂いてから、私のなかにずっとこの言葉が微妙に鳴り響いているのです。
ミクソロジストの南雲主于三さんは、緊急事態宣言にあたって彼の店 memento mori
でモクテルを続けると表明しておられました。
私の友人は、緊急事態宣言で外飲みが出来なくなった機にノンアル生活にはまってしまったと言っていました。それまで日本酒の編集の仕事をしていた方がですよ!
私のなかで Sober Curious という言葉が鳴り響き続けている理由は、何となく自分のなかに納得感があるからなのです。
「その気持ちわかる!」という思いが自分のなかにあるからなのです。
以前から家でお酒を飲む習慣がある方であれば、別に飲食店に行かれなくなったところで、何も変わることはない。いつものように家で飲めばいいだけのことなのですが、普段は家でお酒を飲む習慣がない人や、一人飲みをする習慣がない人にとって、いまのステイホーム生活でお酒を飲む理由はそりゃぁ減退するでしょう。
お酒を飲む理由がなくなったから、お酒を飲まない生活になった。そうしたら別に何も困らなかった。最近はノンアルのビール、ワイン、レモンサワー、日本酒などが発売されているようなので、飲んでみたら思いのほか飲んだ感があって、かつ翌日はシャキッとして仕事がはかどったから、なんとなく「これでいいか」みたいなノリでノンアル生活になっちゃったというストーリー。
大いに想像できるわけです。
恐らくアル中でない人にとって、お酒は「どうしてもなくてはならないもの」ではないと思うのです。
特に西洋人のようにそもそもアルコール消化能力の高い体質でない人が多い日本人にとって、お酒は「付き合いで飲むもの」だったり「ノリで飲むもの」というケースは結構多いと思われるわけで、そんな人々がこのステイホームピリオドを経て「断酒しました!」と言い始めて、それが何となくおしゃれで一歩進んだ雰囲気を纏ってしまうと、これはお酒にとってかなりのピンチです。
さらにWHOを頂点とする世界的な潮流は、反アルコールです。
アルコールやタバコなんて世の中からなくなってしまった方が、人類は健康的な人生を送れるのです、という考え方が世界的な潮流の根底にあります。
あまり悲観的になりすぎる必要はないのかもしれませんが、そんな現代の問題意識を心の中に留めておかなくては、これから先の世界でお酒を製造・販売し続けることは困難になってゆくと思います。
じゃぁどうすればいいの?
お酒のビジネスに携わるひとりひとりが、この問題をよくよく考える必要があります。
単に1本でも多くの酒を販売するということに集中するのではなく、何のためにお酒を製造し、何のためにお酒を飲んで頂くのか。お酒はどのような存在意義を持っているのか。
お酒は本当に世の中に必要なものなのか、社会になにかメリットとなるものを与えているのか。
ただただ酔って楽しいとか、人と人を結ぶとか、人類の歴史は酒とともにあったとかというような漠然とした言い訳ではなく、もっと力強いメッセージを世の中に発信していかなくては、恐らくお酒の未来はないのではないかとすら思います。
なにも全部のアルコール飲料の心配をする必要はない。まず足元を固めましょう。
日本酒、そして本格焼酎という日本の「國酒」にはどんな存在価値があるのでしょう。
どのように世の中の役に立っているのでしょう。
たとえ今は出来ていなくても、これから出来ることを考えて、着実にそれに取り組む酒蔵が一社ずつ増えてゆくことが、きわどく生き残る最終ラインになるかもしれません。
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