自分のなかの小さななぞなぞ

 これからの日本酒のプロモーション、特に海外向けのプロモーションにはフードペアリングの軸が肝になると言われています。

日本酒は食中酒として飲まれてきましたが、時代劇を見ても「この料理にはこの酒が合うぞ」なんていうセリフが出てくることはありませんね。それに伝統的な酒飲みは塩を舐めながら酒を飲むなんて言われているように、シンプルな塩辛いつまみをちょっと口にしながら延々と酒を飲み続けるというのが日本酒の伝統的な飲み方のように思えます。

この時代には、今のような様々なタイプの日本酒は存在しなかったのです。酒といえば酒。ひとつの蔵元に大吟醸・純米吟醸・純米・本醸造・普通酒・にごり・古酒・貴醸酒… なんていうバラエティはありませんでした。ですから料理に合わせて酒を楽しむというよりは、酒の甘味・旨味を引き立たせる塩味を肴に延々と酒を飲み、最後にご飯とお汁を頂いて〆るというスタイルが一般的でした。というか、昭和の時代までは多かれ少なかれこのようなスタイルが酒の楽しみ方だったと思います。

吟醸酒が世に出てから、日本酒のバラエティが広がり始めました。平成の時代はまさに日本酒が羽を広げて飛び回り始めた時代とも言えるでしょう。ワインの人気上昇とともに、日本酒も同じ食中酒の醸造酒としてソムリエを中心とした人々によって料理とのペアリングが真剣に検討されるようになりました。

以来、ペアリングは日々進歩を続けています。

ワインにはペアリングの長い歴史がありますが、今でもそのセオリーは主として官能に頼った主観的なものが多く、ペアリングを科学的に理論立てて説明したものは少ないように感じます。

その中で、藤原正雄さんと渡辺正澄さんが考察された「ピタピタ理論」は、ワインの有機酸組成に焦点を絞って温度と官能の関係や、素材・調味料から作られる料理の「強さ」をもとにペアリングを説明している、非常に簡単で説得力のある理屈でした。

私はワインを勉強している時にこの考え方に出会い、その後日本酒の勉強にもずっとこの考え方をベースとして引きずっています。

このピタピタ理論の日本酒ペアリングは、簡単に言えば「さっぱりした料理はさっぱりした酒に、こってりした料理はこってりした酒に合う」といういたって当たり前のような理屈です。そして、大抵のペアリングは素材や調味料・料理法が「さっぱり」か「こってり」かを把握していれば、この簡単な理屈で説明ができてしまいます。

さて本題です。

私が好んで通っている小さな料理屋があります。そのお店は灘の「白鷹」をメインとしておられるので、私はいつも「白鷹」のお燗を頂いています。「白鷹」は灘の硬水を生酛造りで醸して熟成をしたしっかりした酒なので、どちらかというと「こってり」タイプの酒なのだと理解しています。

その店の料理は、どれもお酒の肴を意識して作られているので非常においしいのですが、当初私は酢の物をあまり注文しませんでした。酢の物はとてもさっぱりした食材だと思っているので、「白鷹」のような生酛のコクには負けてしまうのではないかと思っていたからです。

例えばキュウリの酢の物はキュウリと三杯酢をベースにしていますから、酢と砂糖と醤油。醤油は強い調味料ですが、キュウリも酢も極めてさっぱりとした食べ物です。三杯酢はそれほど醤油を沢山使うものではありません。これがアジの南蛮漬けであれば、アジのコクと揚げた油で全体の強さのボリュームをある程度上げると思うのですが、キュウリはどう考えてもさっぱりした食材です。この酢の物が「白鷹」に合うとはとても思えませんでした。

でも違うのです。この店のキュウリの酢の物は「白鷹」にとても良く合うのです。他の素材を使った酢の物と合わせても「白鷹」はとても美味しく、口の中に気持ち良い甘みが広がります(ちなみに合わない時は、口の中に苦みが広がります)。

となると、この店の三杯酢は私が思うほどさっぱりした食材ではないのか、もしくは「白鷹」とは私が思うほどコクのある酒ではないのか。この疑問がいまだに解けずにおります。これが私のなかの小さな謎。お店で食べて飲むたびに「う~む」と心のなかで「?」しています。

本当に解明したければ、お店で他の色々なタイプの酒をたのんで比較してみれば良いのでしょうが、そこまで面倒なことをやることはしません。

プライベートでひとり酒をしているのに、何もかもが解る必要もありません。

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