伝統的な日本酒の意義について
ここ10年くらい日本酒の世界を牽引してきた新政酒造の歩みを見ていると、とても柔軟に方向性を模索している姿がみえます。
この蔵には何度も驚かされました。
最初の驚きは低精白の純米酒でした。。
85とか90というシンプルな数字が記されたラベルの1.8ℓで2,000円以下の純米酒を飲んだ時、こんな純米酒が世の中に出回ったら、他の酒蔵は勝負できるフィールドがなくなってしまうという強い危機感を持ったのを覚えています。
ともあれ、これまで野太くてガラが悪いというイメージだった低精白の純米酒が、どうしてこんなに洗練された酒になってしまうのだろうか、という驚きは鮮烈でした。
後に彼のブログを拝見したら、沢山のタンクのなかから、低精白で商品化できるレベルになるのはほんの数本であり、新政酒造にはこれをコンスタントに造り続ける力はまだないという記述があり、少し胸をなでおろしました。また、酒の先生に聞けば、粕歩合を高くすればどんな蔵の酒でもそれなりにきれいな酒に仕上がるという意見もあります。
コンスタント、低精白、きれいな酒、経済合理性というキーワードを包含するような酒を実現することができれば、これは素晴らしいことですが、やはり実際にはそれほどたやすいものではないようです。
でも、それほど遠くない未来にそんな酒を涼しい顔をして造る醸造家が出て来てもおかしくないという気もします。願いも込めて。
新政の、酒母タンクごと湯煎する生酛造りの発想にもひどく驚かされました。
乳酸菌による乳酸発酵というプロセスを生酛と考えれば、確かに無菌状態にした培地に乳酸菌を植えることによって、よりきれいな乳酸培地ができるはずです。木戸泉の高温山廃酛がこれに近い考え方だと思いますが、いずれにせよ誰もやろうと思わなかったことを涼しい顔でやってのける非凡さがこの蔵には確かにあります。
その後もこの蔵は同じところにとどまり続けることなく、どんどん新しい製法に取り組んでいるようです。馬渕信彦さんの「The World of ARAMASA新政酒造の流儀」のインタビューを読むと、その変遷がとても面白い。佐藤祐輔さんという社長の能力もさることながら、製造チームとしてのこの酒蔵の革新性が随所に光るのです。
生酛を志したあとは、木桶にのめりこむ。さらに原料の栽培へ。数年後には米の栽培をしている鵜養地区に沢山の人が「行ってみたい」と思わせる新しい新政ワールドが出現していることでしょう。そんな未来が想像できます。
良い意味で、この元気のない日本酒業界をグイグイと牽引しているまさにトップランナーです。
さて、最初に新政酒造にお邪魔した時に、佐藤社長に「お燗酒の世界とかってどう思われますか?」という質問をしました。そのとき彼は「今の若い人たちにどんな酒が好きか聞いた時に、お燗が好きという人はほとんどいないので、私はそういうタイプの酒を造ることには興味がありません」と言い切っていまし。とても印象に残っています。そして、新政酒造が一貫して作り続けているのは、冷やして美味しい、繊細で、デリケートで、洗練された酒です。
誰もが「美味しいな」と思える酒だと思います。
コロナの前までジョン・ゴントナー氏にたのまれて、彼の行う Sake
Professional Course Level 2 で何年か講義をさせて頂いたのですが、その最初の年に受講者から受けた質問が妙に印象に残っています。
「最近、様々な新しいタイプの日本酒が市場に出ているように思えますが、こういった酒の出現によって、もともと日本酒がよって立つ伝統が失われるという危惧を感じませんか?」という質問でした。
私のなかにある伝統の形とは、虎屋の羊羹、すなわち「伝統とは革新の連続から生まれるものである」というものだったので、私は伝統というものが新しいチャレンジを受けて形を変えながら長い年月で磨かれてゆくというプロセスは、必要なものであると思っていました。ですから彼の質問にはそのように答えたのですが、その後も、今にいたるまでその質問が妙に私の頭の中でリフレインしているのです。
外国人からそのような質問を受けるということが新鮮でした。日本人として伝統文化としての日本酒に愛着を持って接していながら、改めてその伝統の本質というものについて真面目に考えたことがなかったこともあります。また、自分が生きてきた酒の世界で「酒とはこうあるべきだ」と明言する人物にも出会っていなかったからかもしれません。
最近、改めてその問いに対する自分の答えを探し始めました。
上原 浩という酒の先生がおられました。
私は残念ながら先生の存命中に知己を得ることができなかったのですが、先生の「純米酒を極める」という本は、とても強い印象と共感を残していたので、古本屋にも出さず、書棚に置いて数年に一度読み返している稀有な本です。
改めて上原先生の本を読んでみると、彼はいたるところで「酒とは本来こういうものである」ということをズバズバ言い切っていることに気づきます。そして、そのあるべき酒のカタチは、今の時代に好まれている酒とは正反対の酒のようです。
上原先生の薫陶を受けて、そのような酒をかたくなに造り続けている酒蔵が今も何社かあります。完全発酵した力強い辛口の酒で、燗酒にして飲むのが一番おいしいタイプの酒です。
「酒は純米、燗ならなお良し。」
上原先生の言葉が、私のなかでリフレインしていたあの外国人の質問にシンクロしました。
しばらく時間がかかりそうですが、とても楽しい探求の時間です。
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