銘醸地の理由

ある地域がお酒の大生産地になるにはそれなりの理由があります。

誰もが最初に思うのは「やっぱりお酒が美味しいから」でしょうね。確かにそれはとても大切な要素、まぁ当たり前のことですが。

でもお酒が売れる要素は「おいしさ」だけではありません。

例えば「安い価格」というのも大量に売れるためには必要な要素です。より多くの消費者が気楽に買うことができるから良く売れる、これも当たり前のことですよね。

「買いやすい」というのも大切な要素です。いくら良いお酒でもどこで売っているかわからないとか、遠くまで行かないと買えないとかいうのでは大量に売れることにはなりません。消費者が毎日買いに行ける売場に売っているからこそ毎日のように飲むわけです。「いつでもどこでも」という要素は大量に売るためには欠かせない要素でしょう。

さて、日本一の酒どころは兵庫県の西宮から神戸の間の海沿いに広がる灘というエリアです。誰もが知っている名だたる銘醸蔵がまさに軒を連ねている、日本酒業界にとっては特別な地域と言えるでしょう。神戸淡路大震災で多くの酒蔵が被災し、趣を大きく損なってしまいましたが、往時はなまこ壁と板塀が連なるとても風情のある界隈でした。

灘が日本一の生産地になった理由は、江戸時代に灘の酒が江戸の町で大人気だったからと言われています。江戸の周辺地域にもたくさんの酒蔵があったのにわざわざ灘の酒を好んで飲んだのは、確かに辛口でキレの良い灘の酒質が江戸っ子の口に合ったということもありますが、それ以上に人気の高くなった酒を大量に江戸の町に供給する能力があったことが大きな理由と言われています。どんなにおいしい酒でも、手に届かなくては大量に売れないという証左です。瀬戸内の良港に恵まれた灘は、千石船と呼ばれる大型船に大量の四斗樽を積み込んで江戸の町にどんどん供給しました。

輸送インフラは大生産地を形成するための大きな要素でありました。

広島に西条という銘醸地があります。西条は三原市と広島市の中間にある内陸の町で、海からのアクセスも良くない立地です。この西条が中国地方を代表する銘醸地になったのは、水の良さ、豊富な米、寒暖差の大きな気候、すぐれた酒造技術とともに、鉄道へのアクセスの良さが大きく起因しています。西条には7つの酒蔵が近接して建っていますが、いずれもJR西条駅に近く、製造した酒をすぐに貨車に積み込んで消費地に運ぶことができました。広島は明治初期から軍都として発展しました。陸海駐屯地や軍港、造船所など軍に関する産業が集積した広島は大きな酒の消費地であり、特に大正期以降、西条は軍関係への酒の供給拠点として大いに栄えました。

7つの酒蔵が軒を連ねる西条では毎年10月に大きな酒祭りが開催され、コロナ前には20万人を超す人出で賑わっていました。コロナがようやく一段落した今年の秋には再び賑やかな酒祭りが戻ってくることでしょう。楽しみです。

天災にあっていない西条には美しい酒蔵の景観が随所に残っています。酒蔵を巡る楽しさもさることながら、酒蔵を中心に栄えたこの町の文化的な側面も、是非街歩きのなかに感じて欲しいと思います。







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